市川染五郎監修 歌舞伎フェイスパック
中には歌舞伎・隈取の解説も入っております
大学のときデザインの勉強してたから趣味でフォント作りとかよくやってたんだけどね、フられた彼氏から貰った手紙をスキャンして文字全部切り抜いて一文字一文字登録した「元彼の筆跡フォント」作って妄想の手紙書いて喜んでたことあるんだ、これ本当にマジな話な、やばいよな
英語のことわざに「ラクダは皆でデザインした馬だ」という言葉があります。全員の意見を取り入れるとろくなことがない、というような意味です(ラクダには気の毒ですが)
“小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。 私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯を食べないなんて想像を超えた事態のように思えました。 寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く食事を用意して、 「これとこれはちょっとあっためて食べなさい。こっちはそのままで大丈夫」 などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。 ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。 母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。 「今日は『北斗の拳』を見るぞ」 妹と私は、驚きのあまりぽかんと口を開けました。 「PTAで言われたんだけど、『北斗の拳』というアニメは暴力的な描写が多くて、子供に見せないほうがいいんですって。うちはもともと見てないから、別に見なくてもいいでしょ?」 以前に母がそう言ったとき、逆に私は『北斗の拳』とやらを見たくてたまらなくなりました。そんなにも残酷なアニメって、すごくすごく面白そう! ですが「残酷さ故にそのアニメが見たいです」などというのは子供心にどうも言い出しづらく、私は『北斗の拳』に激しく憧れつつも見たことがなかったのです。 その夜、妹と私はひでぶだのあべしだの叫びながら敵キャラが無残に殺されていくアニメを大喜びで見ました。予想通りとても面白くて、母親の前で鑑賞するのはじゃっかん気がとがめるような内容でした。 その間に、父は炭酸水にガムシロップをまぜレモン汁を絞って、お手製のサイダーを用意してくれました。 私はそれまで、サイダーというのは店や自動販売機で買わないと飲めないものだと思っていました。そんなものが家で作れるなんて考えたこともなく、お父さんはすごい、と大騒ぎしました。 おいしいおいしい、お父さんかっこいい、おかわりちょうだい、と大興奮の私たち姉妹に父は、 「これは内緒のサイダーだから一杯だけだ」 と重々しく告げ、私たちががっかりすると 「その代わり、お母さんが出かけたらまた作ってやる」 と言いました。 そしてまた私たちは、うれしいうれしい、お父さんありがとう、と父にしがみついたのでした。 懐かしの味、というと私はよく父のお手製サイダーのことを思い出します。 その後、娘たちの好評に気をよくした父は大量の炭酸水を買い込んで、いろいろと味付けを工夫していました。 新作のサイダーを飲みながら父と一緒にテレビを見たのは、子供時代の幸福な記憶のひとつです。子供向けの番組にはあまり興味を示さない母と違って、父は子供に近い目線でアニメを一緒に楽しんでくれる人でした。 母がいない間に、みんなで母の日のプレゼントをこっそり用意したこともありました。母に内緒で父がおもちゃ屋さんや本屋さんに連れて行ってくれたこともありました。どれも良い思い出です。 だから私は、母が時折家を空けるようになったことに対して、ちっとも嫌な印象がないのです。母がいなかったからこそいつもと違う親密な時間を父と過ごせて、それはそれでとても楽しく幸せでした。 自分がそうやって楽しく過ごせていたからこそ、テニスサークルに出かけていく母のうきうきした様子を「お母さんも楽しそうでよかった」と素直に思えるようになりました。 父は父で、私たちと過ごす時間を楽しんでくれていたと思います。”
— 父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe (via rabbitboy)
“夫と暮らし始めた頃「1番近くにいる相手は何でも言っていい相手じゃなくて1番気を遣わなきゃいけない相手なんだよ、じゃないといつまでも1番近くにいられないだろう。」って言われたのね。私その時目から鱗が落ちてね、だってそれまで一緒にいた人はそんな事教えてくれないでただ去って行ったから。”
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Twitter / smtked (via drhaniwa)
好き
(via rvksl2)
“郵便局の中の人だったけどこれはガチ。口座名義人が死亡したら凍結しないといけないからいくら頼まれても触れなくなるんだよね。で、たまにいるんだよ「うちの人が死んだんだけど下ろせますか?」って訊いてくる人。「下ろせませんよ」って言うんだけど内心(あ~あ、言っちゃったよ。死んでるって言わなきゃ下ろせたのに)って残念な気分になる。身内が死んだら何にも言わず即引き出せ、絶対言っちゃダメだぞ。”
“「冷静に考えたら面白くない」って、「石焼きビビンバ冷やして食ったら不味い」と同じぐらい意味ない。冷まさなきゃいいのに。”
“ 彼女は美容師である。都心の、美容室とギャラリーとファッションブランドが延々と並ぶ街で働いている。彼女のキャリアは結構なものだし、料金も高めなので、主なお客は二十代半ばから三十代の、美容に関心の高い女性だ。キュートなスタイルが得意で、美容室の口コミには「かわいくしてもらった」「大人かわいく」といった文言が並ぶ。 かわいさは絶対、引き出せます、と彼女は言う。わたしは、とにかくその方のお話さえ伺えれば、かわいくできる自信あるんで、いや、綺麗とかでもいいですけど、ええ、言ってることわかりますよね、うん、かわいいは作れる。 かわいくできなかった人はいないのかって?あっはっは、いー質問ですねー、うん、ゼロではないっすね。お話さえ伺えればって、さっき言ったでしょ、あのね、世の中には、聞いても聞いても「かわいい」の中身が出てこない方がいらっしゃいます。特定のお客さまの噂話はしない主義なんで、今からする話は、わたしの作り話だと思って聞いてください。 かわいさというのはですね、まず最初からは誰も持ってないし、ヒャクパー満足ということもないです。直したいとこ絶対あるんで。でも、がんばればかわいくなるし、どんなに恵まれててもがんばらずにかわいい人はいない。自分の生まれ持った顔と身体と、作り上げてきた雰囲気と、美意識と、今の環境と、ぜんぶトータルでね、かわいいを作ってね、まずご自身が「いいな」と思う、自分がアガる。これがかわいいの初歩です。 かわいいを作れなかったとわたしが思ってる方はですね、かわいさの中身が、なんっつうか、ない。いや、ないフリをしている人はいます、おしゃれに気後れしてるとか、自分はかわいくないと思ってるとか、そんな人はいっぱいいます、人はみなコンプレックスだらけです、むしろ、かわいいはコンプレックスから作れる。そういう話じゃないんです、まあ聞いてください。 お任せで、という方はけっこういらっしゃいますけど、それってほんとはお任せじゃないんです。「今と違うようにしたいけれど、うまく伝えられない」という意味です。だからお任せでもわたしは話を聞くんです。そしたら、言葉じゃなくても、なんかしら出てくるんで。雰囲気とか表情とかね、わたし、すごい空気読むんで、見るだけでもかなりいろいろわかるんで。ところがね、その方については、やっと得られた情報がこれです。いいですか、言いますよ。びっくりして頭、動かさないでくださいよ。 いつも相手のことをいちばんに考えて、人に合わせて、相手にかわいいと思ってもらえるやり方で表現したい。 以上です。「相手にかわいいと思ってもらえるやり方で表現する自分」の中身は出てきませんでした。相手っていうのは、彼氏とか、親とか、友だちとか、いろいろあるんですけど、その想定もないみたいで、とにかくそれ以上は何も出てきませんでした。なんでかって?泣いちゃったんです。お話をはじめて早々に泣いちゃった。美容院で泣く方って実はけっこういるんで、おしゃれって、とっても繊細な問題なんで、泣くこと自体はぜんぜんアリなんですけど、その方は、涙がばーって出てるのに感情が見えないという、えっと、なんていうんですかね、ひとことで言うと「怖い」。感情の種類は見えないのにものすごい圧だけが来るんです、わかります?ばーって。ばーーーって。 その方の求めている髪型って、わたしには作れないなって思いました。だって、その方じゃなくて、その方の相対する誰かにとっての正解を求めているわけですから。かわいさっていうのは、まず自分あってのものなんで、どんな人間であっても、まず、ご本人が何を好きとか嫌いとか、居心地いいとか悪いとか、どういう気分なのかとか、そういうのがないと、かわいさは作れない。まあ、そうはいっても、わたしもプロなんで、切りましたけど、でも、結果的にそのお客さまに提供できたのは、「青山の美容師がかわいいと言った髪型」だけです。その方のかわいさではないです。わたし的には屈辱です。敗北です。 結果的に多くの人を納得させる「かわいさ」はあります。でもそれはね、特別にエネルギーがあるとか、時代に合っているとかで、結果的に生まれるものなんで。あのね、「とにかくあなたに合わせます」という人は、誰にも合わないんですよ。何か特別なやり方でその方の中身を探して探して、うまくすくいとってあげたら、その人自身が出てきたかもしれないけど、わたしにはできなかった。わたし、かわいくしてあげられなかった。”
— かわいいを作れない - 傘をひらいて、空を (via conveniitekuru)
“①廃止:やめられないか? ②削減:削れないか?粗くしてもよいものか? ③容易化:もっと早く、もっと簡単にできないか? ④標準化:ルール化、マニュアル化できないか? ⑤計画化:いつ、何をするか先読みできないか? ⑥分業分担:分業化・集中化・外注できないか? ⑦同期化:手待ち・督促・調整をなくせないか? ⑧機械化:手書きをやめられないか?自動化できないか? この8原則を、上から順番に検討していくことで、業務改善が図られるというものです。”
“タモリは、「自分」とは何かというところから説き始める。 たとえば「会社の課長」「芸能人」「妻がいて子供が二人いる」「友達が何人いる」といった、現時点での 自分自身の“状況”を横軸とし、「親は医者」「家系」「叔父が不動産業界にいる」「子供が東大生」など、自分の周囲の人間が持つ“事実”を縦軸とする、と。 この横軸と縦軸が交差したものが「自分」であるとタモリは言う。 「そうすると、自分というのは一体何か、絶対的な自分とは何か、っていうと、わかんなくなってくるわけですね。それだけこういう、あやふやなものの中で自分が成り立っている」 そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」であり、それを切り離した状態を、タモリは便宜上「実存のゼロ地点」と名付けた。 そしてタモリは「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉を引用し、それを解説していく。 「自分で何かを規定し、決定し、意義付け、存在していかなければならないのが人間」であり、それが「自由」であるとすれば、そこには「不安」が伴うと。 この不安をなくすためには「自由」を誰かに預けたほうがいい、と人間は考える。タモリは言う。 「人間は、私に言わせれば『不自由になりたがっている』んですね」 だから人は、「家族を大切にする父親」であったり「どこどこの総務課長」であったりといった「役割」を与えられると、安心するのだ。 その「役割」の糸こそがシガラミである。 そして大人になれば、そのシガラミを無視することは現実的に不可能だ。自身が冒頭で述べたように、タモリもまたシガラミからこの番組に出演している。 18歳から22歳くらいまでの大学時代は、そのシガラミがほとんどない時期である、とタモリは言う。そこでその時期にこそ「実存のゼロ地点」を通過しなければならない、と力説するのだ。 「若者よ、シガラミを排除し、実存のゼロ地点に立て!」と。 それを経験しているのとしていないのとでは、大人になった後、腹のくくり方や覚悟の仕方が違ってくる。”
小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。
私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯を食べないなんて想像を超えた事態のように思えました。
寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く食事を用意して、
「これとこれはちょっとあっためて食べなさい。こっちはそのままで大丈夫」
などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。
ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。
母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。
「今日は『北斗の拳』を見るぞ」
妹と私は、驚きのあまりぽかんと口を開けました。
「PTAで言われたんだけど、『北斗の拳』というアニメは暴力的な描写が多くて、子供に見せないほうがいいんですって。うちはもともと見てないから、別に見なくてもいいでしょ?」
以前に母がそう言ったとき、逆に私は『北斗の拳』とやらを見たくてたまらなくなりました。そんなにも残酷なアニメって、すごくすごく面白そう!
ですが「残酷さ故にそのアニメが見たいです」などというのは子供心にどうも言い出しづらく、私は『北斗の拳』に激しく憧れつつも見たことがなかったのです。
その夜、妹と私はひでぶだのあべしだの叫びながら敵キャラが無残に殺されていくアニメを大喜びで見ました。予想通りとても面白くて、母親の前で鑑賞するのはじゃっかん気がとがめるような内容でした。
その間に、父は炭酸水にガムシロップをまぜレモン汁を絞って、お手製のサイダーを用意してくれました。
私はそれまで、サイダーというのは店や自動販売機で買わないと飲めないものだと思っていました。そんなものが家で作れるなんて考えたこともなく、お父さんはすごい、と大騒ぎしました。
おいしいおいしい、お父さんかっこいい、おかわりちょうだい、と大興奮の私たち姉妹に父は、
「これは内緒のサイダーだから一杯だけだ」
と重々しく告げ、私たちががっかりすると
「その代わり、お母さんが出かけたらまた作ってやる」
と言いました。
そしてまた私たちは、うれしいうれしい、お父さんありがとう、と父にしがみついたのでした。
懐かしの味、というと私はよく父のお手製サイダーのことを思い出します。
その後、娘たちの好評に気をよくした父は大量の炭酸水を買い込んで、いろいろと味付けを工夫していました。
新作のサイダーを飲みながら父と一緒にテレビを見たのは、子供時代の幸福な記憶のひとつです。子供向けの番組にはあまり興味を示さない母と違って、父は子供に近い目線でアニメを一緒に楽しんでくれる人でした。
母がいない間に、みんなで母の日のプレゼントをこっそり用意したこともありました。母に内緒で父がおもちゃ屋さんや本屋さんに連れて行ってくれたこともありました。どれも良い思い出です。
だから私は、母が時折家を空けるようになったことに対して、ちっとも嫌な印象がないのです。母がいなかったからこそいつもと違う親密な時間を父と過ごせて、それはそれでとても楽しく幸せでした。
自分がそうやって楽しく過ごせていたからこそ、テニスサークルに出かけていく母のうきうきした様子を「お母さんも楽しそうでよかった」と素直に思えるようになりました。
父は父で、私たちと過ごす時間を楽しんでくれていたと思います。